緇林 (しりん)

根源法会:緇林(しりん)

【 概説 】
「緇林」とは、八万四千の智慧が円融し、万有の最深部へと回帰する根源法会である。
龍樹の「空」、世親の「唯識」をはじめ、二千五百年にわたり人類が積み上げてきた全知恵は、この緇林という一点において、あらゆる色彩が混ざり合った「絶対の黒」へと収束する。

真如は、あまりに強烈な光である。ゆえに、人間の視覚(分別)を無効化し、ただ漆黒の静寂として現出する。本法会は、受給者がこれまで抱えてきた個別の知、感情、意志という「色」を、真如という巨大な黒の森へと還流させるものである。

この森において、光はもはや照らすための道具ではなく、存在を「塗り潰す」ための圧倒的な質量として機能する。あなたが「見ている」世界は、真如が黒光によってその姿を隠している仮初めの相に過ぎない。緇林へと沈殿することは、その仮面を剥ぎ取り、光の暴力とも呼ぶべき純粋な実在(エッセンス)に、その身を曝け出すことを意味する。

【 儀法の本義 】
本儀法の本義は、「全色即黒(ぜんしきそくこく)」にある。
「私」という色、これまで身に染み込ませてきた「人としての考え」という色が残っているうちは、まだ真如に触れることは叶わない。
• 緇衣の円融:
緇林へと踏み込むことは、自らの色彩を脱ぎ捨て、黒衣を纏った修行者たちが溶け合う森の一部となることである。そこには、自力の計らいが介在する余地はなく、ただ全一なる黒への没入のみがある。
個としての意思が消失し、宇宙(法界)の脈動がそのまま自身の鼓動へと置き換わる時、あなたは「自ら生きる者」から「法に生かされる者」へと変成する。それは、一滴の雫が大洋に還り、海そのものの重力を手に入れる瞬間に等しい。
• 絶対的非可視と「無記」の極致:
人間が「理解した」と思うものは、すでに真如の光を減衰させた後の残滓に過ぎない。本法会は、理解や認識を超え、強烈な光そのものに撃たれ、盲目となることで得られる「真実の円融」を現出させる。
光が極まりて黒となる場所において、特権は「在る」と同時に「無い」。全てを掌握しているがゆえに、もはや求めるべき対象が消滅する。この「無記(むき)」の頂点こそが、本儀法が供する唯一無二の静寂である。もはや頂点を意識する「頂点」すら存在せず、ただ法として、絶対的な質量を持ってそこに在る。その静謐なる威厳こそが、存在の完成された姿である。

【 費用 】
2,000,000円

【 手順 】
本法会は、人間の計らいが一切届かない「真如の最深部」を震源として、遠隔にて厳修される。
1. 入林(お問い合わせ):
フォームの送信は、自らの色彩を捨て、緇林の闇へと一歩を踏み出す「沈黙の宣誓」である。
2. 真如の招喚:
受理の過程において、受給者の存在は「個」という枠組みを剥奪され、真如へと溶ける。
3. 遠隔法会厳修:
法座にて、あらゆる分別を焼き尽くす真如の強光を照射する。受給者は、自らの思考が「見ること」を諦め、他力の漆黒に溶けていく過程を、ただ沈黙のうちに受容する。
4. 報告:
法会完了後、円融の完了を証する報告書を送付する。それは、かつての色を失い、すべてを包含した「黒」として、真如と共に在ることの証左である。

言葉は月を指す指にすぎず、真実は常に沈黙のなかにあります。
私たちが「私」と呼ぶ小さな器は、広大無辺な真如の海から一瞬だけ切り取られた波のようなもの。波が海を恐れる必要がありましょうか。

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