黒光阿弥陀術

阿弥陀如来とは、真如そのものであります。
その光を「阿弥陀」と呼ぶのは便宜にすぎず、名づけた瞬間に真実から半歩はずれます。言葉を離れ、形を離れたとき、初めて本来の輝きが目に映るのです。

人間的な思い込みや執着、善悪や損得への偏り――こうした「人としての働き」がことごとく静まりきるとき、阿弥陀は“向こうから来る”のではなく、もとよりここに在ったことが明らかになります。

本法術「黒光阿弥陀術」は、可視と不可視の境界を越えたときに現れる「黒色の光」――光が極まり相を失うとき、それは黒光として顕れます。黒光は「照らす者/照らされる者」という二分を解き、はたらきそのものが自ずから満ちる場をひらきます。

ここでは、術者と対象という区別も、目的と結果という往復も意味を失います。感じる・感じない、信じる・否か、そうした人間側の事情は一切無用です。

この法は、いかなる制限にも属さず、いかなる名目にも閉じられず、善悪・得失・祈願・報酬の一切を超えた「無礙の法」として顕れます。ゆえに「決められた功徳」はありません。法そのものが法として在る――ただそれだけです。

しかるに、凡夫の眼には見えにくいその無為の働きこそ、財物布施に勝る福徳を生みます。それは施しでも祈りでもなく、「法と共に在る」という、ただ一つの高き帰命であります。

無量の光はすべての生命の間を貫き、光が光を照らし、慈悲が慈悲を生みます。そのはたらきに気づく者は、みずからもまた阿弥陀の現れとなるのです。

■功徳と利益
功徳と利益は制限なし。無限であり、量られることがありません。
これは比喩ではありません。むしろ文字にさえならぬ無限の利益です。
功徳が規定できない理由
・無相:相がないゆえ、定義すれば外れる。
・無為:作して得るのではなく、在って満つる。
・不二:与える者と与えられる者の二が無い。

■料金
各回参加(遠隔)
50,000円
永世参加(遠隔)
ASK. 

■法術の起源
阿弥陀如来の「無量光・無量寿」は、時間の外にある真如のはたらきです。本来は名も相もありません。ゆえに厳密な意味での“起源”は定められません。
それでも人に届くために、この無相のはたらきは誓願というかたちを取り、法蔵菩薩の大願として可視化され、「阿弥陀」という名を得ました。名は方便であり、本体はなお名を超えています。
この光はやがて、経典・名号・念仏・光明観として歴史に伝持されました。祈りや修法は入口(門)であり、標(しるべ)です。本体そのものではありません。
黒光阿弥陀術は、過去へ遡るのではなく、当下・・・今この一念に起源をよみがえらせます。術者と受者、意図と結果が静まり、呼吸が真如の脈動と重なるとき、法は自然にあらわれます。

■よくある誤解と応答
Q. 何もしないのに上手くいくのですか?
A. 「しない」という作為をやめることです。やめたところに、もともとのはたらきが顕れます。
Q. 具体的な願いを伝えるべきですか?
A. 不要です。願いは方便にすぎず、ここでは方便をも離れます。

■遠隔受講について
はじめての方にも安心してご依頼いただけるよう、遠隔受講の流れを分かりやすくご案内いたします。
1. お申し込み
・ お申込みフォームにお名前、ご連絡先メールアドレス、ご相談内容を簡単にご記入ください。
・ お申し込みが完了しましたら、24時間以内にこちらから返信致します。最短での返信を行なっておりますが、遠隔法会対応中には返信が遅れる場合がございます。

2. ご準備と確認
・ ご入金を確認したのち、遠隔法会の準備に入ります。
・ 遠隔法会の日時はこちらで整えますが、ご希望がある場合は事前にお伝えください。

3. 法会の実施(遠隔)
・ 法会はすべて遠隔で行いますので、受講者様は普段通りにお過ごし頂けます。

4. ご報告
・ 法会の終了後、詳しい内容をまとめたレポートを48時間以内にお届けいたします。
(どのような働きがあったのか、どのような変化が生じているかを記録しています)

5. 受講後の質疑応答
・ 法会で感じられたこと、日常での変化、疑問点など、どのような内容でもご自由にご質問ください。
・ 質疑応答は回数に制限を設けておりません。 遠隔法会を受けられた後も、安心して継続的にご相談、ご質問いただけます。

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