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コンセプト

一念、三千の相(すがた)を映す眼前に広がる世界は、単なる外界の事象にあらず。
それは一念の心が映し出した万華鏡であり、貴殿の魂が織りなす無数の因縁(いんねん)の集積に他なりません。歓喜も慟哭も、過ぎ去りし日の記憶も未だ来ぬ未来の光明も、すべてはこの一瞬の心に宿り、そこから森羅万象が展開しているのであります。

理(ことわり)を知らぬまま、浮世の波に漂い、善悪や成否という表層の泡沫(うたかた)に翻弄されれば、貴殿は己自身が生み出した影に怯え、永劫の迷いを彷徨うこととなりましょう。

然れど、如何なる現象も四つの眼(まなこ)をもって転じることができます。
穢れ多き此岸を厭い離れる「厭離土(おんりど)」
徳を積み心を深く耕す「修徳土(しゅとくど)」
己が魂を荘厳し功徳を顕す「荘厳土(しょうごんど)」
そして、絶対の他力へと帰入する「帰命土(きみょうど)」この四土を歩む時、遍歴する苦難はもはや障害にあらず。法性(ほっしょう)を映し出す清明なる鏡として、輝きを放ち始めるのです。

執り行う遠隔法会・法術は、山深く籠るを要さず、特別な場を構える必要もございません。呼吸を調え、一歩を踏みしめ、憤怒の炎の中に慈悲の萌芽を見出すこと。その日常の刹那こそが菩薩の行道であり、真如(しんにょ)へと至る扉なのであります。処を選ばず、貴殿の立つ「今、ここ」が道場となるのです。

徒(いたずら)に知識を積むのみでは、心水は澄み渡りませぬ。行のみに偏れば、根拠を失い漂う浮草のごとし。「教え」と「実践」、「学」と「観」が溶け合い一味となる時、貴殿の命は宇宙(そら)全体の真実と共鳴いたします。その境地に到った時、世界はもはや貴殿を苦しめる異物ではなく、心と響き合う大いなる和音として現前しましょう。響きに身を委ねれば、道は自ずと開かれ、歩みは自在となり、自身が既に真如の海に抱かれ生きていることを、如実に知るのです。 

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